| 1825年 | 10月25日 | 音楽家ヨハン・シュトラウス1世と宿屋(居酒屋という説もある)の娘、アンナ・シュトレイムのあいだに長男として誕生。 |
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| 1827年 | 8月20日 | 次男、ヨーゼフ誕生 |
| 1830年 | 祖父のアパートで「最初の楽想」(作品番号なし)を作曲。母親がそれを譜面に写す。 | |
| 1835年 | 3月15日 | 三男、エドゥアルト誕生。 |
| 1836年 | ショッテン・ギムナジウムに入学。 | |
| 1843年 | 4月14日 | 父ヨハン・シュトラウスの最大のライバル、ヨーゼフ・ランナー没。 |
| 1844年 | 父ヨハン・シュトラウスと母アンナ、正式に離婚。 | |
| 10月15日 | ヨハン・シュトラウス2世はヒーツィングの「ドムマイヤー・カジノ」でデビュー。 | |
| 1846年 | 父ヨハン・シュトラウス「宮廷舞踏会音楽監督」に就任。 | |
| 1848年 | ウィーン革命勃発。父は「ラデツキー行進曲」(作品228)を作り、皇帝派とみなされる。息子は革命派に属し、「革命行進曲」(作品54)「自由の歌」(作品52)などを作曲し、市民から喝采を受ける。 | |
| 1849年 | 9月25日 | 父ヨハン・シュトラウス没。息子のヨハンは父の楽団を受け継ぐ。 |
| 1853年 | 多忙のためヨハンが病に倒れる。弟ヨーゼフが代役としてシュトラウス管弦楽団を指揮。 | |
| 1856年 | ロシアの鉄道会社との契約でヨハンはパブロフスクで演奏会を開く。 | |
| 1859年 | 2月5日 | 三男のエドゥアルトが指揮者としてデビュー。 |
| 1862年 | 8月27日 | 歌姫イエティ・トレフツとヨハンが結婚。 |
| 1863年 | 父と同じく「宮廷舞踏会音楽監督」に就任。 | |
| 1864年 | ジャーナリスト協会の勧めで、パリのオッフェンバック作曲のワルツ「夕刊」に対抗して、ヨハンはワルツ「朝刊」(作品279)を作曲。 | |
| 1867年 | ウィーン男性合唱協会がヨハン作曲のワルツ「美しく青きドナウ」(作品314)を初演。同年パリの万博においてオーケストラで初演し、大成功を収める。この年、ワルツ「芸術家の生涯」(作品316)も作曲するなど、立て続けに優れたワルツを発表。 | |
| 1868年 | ワルツ「ウィーンの森の物語」(作品325)、「雷鳴と電光」(作品324)、弟ヨーゼフとの合作「ピチカート・ポルカ」など作曲。 | |
| 1870年 | 2月3日 | 母アンナ没。 |
| 7月 | 次男ヨーゼフ没。 | |
| 1871年 | 2月10日 | 最初のオペレッタ「インディゴと40人の盗賊」を初演して成功する。 |
| 1872年 | アメリカのボストンで開かれた「アメリカ独立100年祭」のビッグ・コンサートに出演。弟のエドゥアルトが「宮廷舞踏会音楽監督」に就任。 | |
| 1873年 | 3月1日 | オペレッタ「ローマの謝肉祭」をアン・デア・ウィーン劇場で初演。 |
| 1878年 | 4月7日 | 最初の妻イエティ没。同年5月28日、歌手(俳優?)志望のアンジェリカ・ディットリヒと再婚。 |
| 12月18日 | オペレッタ「目隠し遊び」をアン・デア・ウィーン劇場で初演。 | |
| 1880年 | 10月1日 | オペレッタ「女王のレースのハンカチ」をアン・デア・ウィーン劇場で初演。 |
| 1881年 | 11月25日 | オペレッタ「愉快な戦争」をアン・デア・ウィーン劇場で初演。 |
| 1882年 | アンジェリカがヨハンの元を去る。 | |
| 1883年 | 10月3日 | オペレッタ「ヴェネツィアの一夜」をベルリンで初演。 |
| 1885年 | 10月24日 | オペレッタ「ジプシー男爵」をアン・デア・ウィーン劇場で初演。 |
| 1887年 | 8月15日 | ドイツのコーブルグで、銀行家の未亡人アデーレ・シュトラウスと3度目の結婚。 |
| 1889年 | 10月21日 | ワルツ「皇帝円舞曲」(作品437)をベルリンで初演。 |
| 1892年 | 1月1日 | オペレッタ「騎士パスマン」を宮廷歌劇場で初演。 |
| 1893年 | 1月10日 | オペレッタ「ニネッタ公妃」をアン・デア・ウィーン劇場で初演。 |
| 1894年 | デビュー50周年記念祭が開かれる。 | |
| 10月12日 | オペレッタ「ヤプカ」をアン・デア・ウィーン劇場で初演。 | |
| 1897年 | 3月13日 | オペレッタ「理性の女神」をアン・デア・ウィーン劇場で初演。 |
| 1899年 | 6月3日 | 肺炎をこじらせ、ヨハン・シュトラウス没。 |
| 1916年 | 12月28日 | 三男エドゥアルト没。 |