日本ヨハン・シュトラウス協会 19世紀舞踏研究会

帝王ミュザール パリ オペラ座仮面舞踏会を救う!

 パリのオペラ座で仮面舞踏会が初めて開催されるのは、1716年オルレアン公 フィリップに よって発案され、大ヒットとなりますが、何ごとも過ぎたるは云々・・・となり 18世紀の風紀の乱れと革命により終焉を迎えてしまいます。

 19世紀初めの1815年、ようやく一部が許され復活を遂げますが、過去の乱痴気を排除し、以前とは似ても似つかない仮装、ダンスなしの「オペラ座仮面舞踏会」がはじまります。 この禁止令のなか、女性は黒マントのようなドミノ服に半仮面、男性は素顔で仮装なし。 単なる「仮面パーティ」と化しているではないですか!なんとこれが以後18年間続くのは、驚きです。

 しかも入場料は18世紀と同じ高価格なため客足は遠のくばかり・・・ 1833年オペラ座の支配人はこれを憂い、ある男に舞踏会の運営件を譲渡します。 ただし「仮装・ダンスなし、価格据え置き」の条件付きで。悩んだ男はついにひらめきます!

  当時ヴァリエテ座で大人気を博していたフィリップ・ミュザールを引き抜き、オーケストラを増員、 バレエを導入したところ一夜に500人も詰めかける大成功を収めました。

 1835年になるとオペラ座の 支配人がかわり、男はさらに交渉を続け、ついに仮装・ダンス解禁、しかも入場料半額の大盤振る舞い! それから加速し、37年のカーニバルシーズンにはオペラ座にて「ミュザールの大舞踏会」という ポスターがパリ中に貼られ、身分に関係なくだれでも参加できる伝説的な「ミュザールのオペラ座仮面舞踏会」の 幕明けとなりました。仕掛け人の男もそうですが19世紀初頭には考えられない夢のような成功を手にした舞踏会は、ミュザールなくして語ることはできないでしょう。

 舞踏会を盛り上げる演出にたけ、熱狂的な指揮振りとカドリーユを編曲することにかけては、彼の右に出る者はいませんでした。 ミュザールを知らないパリっ子はなく「ナポレオン・ミュザール」とあだ名され、 舞踏会に彼を呼ぶことは主催者のステイタスでもあり、確実に当たる会として大変もてはやされました。

  彼の大きな影響は同時代の舞踏音楽家シュトラウスI世らにカドリーユを作るきっかけを与え、 後のシュトラウスII世はあの「(パリ)オペラ座仮面舞踏会カドリーユ」op.384を作り、 メトラやワルトトイフェルらがオペラ座舞踏会の指揮をし、20世紀初めガストン・ルルーが 「オペラ座の怪人」を執筆したり、それがミュージカルになって今に続くのも、すべては帝王ミュザールがパリオペラ座仮面舞踏会を救ったおかげなんですね♪

 

ミュザール本人(左)と仮装した人々に感謝され担がれた彼(右)